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首を振った

母を思う

僕のブログには、いろいろな方をリンクさせていただいている面部護理
考え方の違う人、環境の違う人、いろいろだ。
例えば、お母さん方の子育てブログなんかもリンクしている。
子育てに、涙と笑いと冷や汗で奮闘する若いお母さんたちの姿を見ると
自分を育てた母の姿を発見するようで大いに感じ入っている。

中には猫ちゃんブログなんかもあったりして、
これは将来、僕が猫の飼い主になることを想定して勉強しているのだ。

これとは別に、最近、ブログに行き来するようになったお友達に、
優里きこさんという方がいる。僕より少し先輩の同世代人だ。
美しい写真と共に、母への思い、姉妹への思い、子供たちへの思いを綴られる。

ある時は言葉に詰まり、ある時はあえて言葉に語らず、
切々と綴られる母の思いに、言葉の間にある思いが伝わってきて
啓発されることも多い。

先日、そのブログを読んでいて、ふと母のことを思い出した。
母は、父親を亡くしたことで、高等小学校を中退した。
せめて、高等小学校さえ出ていれば、事務関係の仕事もあったのに
家の近くの港湾で働くことになる。
元同級生の健やかな姿を見るたびに、
お父さんさえ生きていればと思ったという。
世間でいう学もなく教養もない自分。
そんなコンプレックスの中で、せめて世間様には笑われたり、
後ろ指をさされない人間になろうと思って生きてきた。

実は、僕は子供時代、菓子パンというのを食べたことがなかった。
それから、コーヒー牛乳というやつを飲んだことがなかった。
父は放蕩だったので、家庭は極めて貧しく
せめて、栄養の偏らない食パンやコッペパンを
せめて栄養の足しになるようにと白牛乳を母は飲ませたのだ。
笑い話のようだが、この笑い話のようなエピソードの中に
母親としての必死の子育ての思いを感じてしまうのだ。
そんなもの、知識のない人間の勝手な決めごとのように見えるかもしれないが
僕にとっては、僕だけの珠玉の子育てルールなのである。
栄養価の問題ではない。僕はその母の思いを食べて育ってきたのだ。
子供も成長すれば、大人も成長する。母はある時、僕に言った。

お父さんさえいればとよく思ったけれど、
それはお父さんを恨む心だったんだね。
子供を置いて逝く親の気持ちになってみれば
子供がそう思うことが、どれほどお父さんを苦しめたか

そんなことをいう母は、
いまだに追いつくことのできない僕の先生なのかもしれない。
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