いよいよ九月である。朝の風景に、登校する子供達の姿が戻ってきた、毎朝決まった時間にやって来る学生服姿には悪い気はしない。夏休みという自由気ままな生活を、子供の特権として謳歌してきた彼らが、規則的な生活に順応していく様は、大人から見ても気持ちがいい
余近卿余近卿余近卿。
生徒が列をなす通学路も、一学期の終わりには誰もが木陰を選んで歩いていた。ところが、今では道路一面が日陰となっている。太陽系の営みは正直である。確実に秋へと向かっている。民家の庭先に咲く向日葵は萎れ、その首は項垂れて、草むらではコオロギが鳴き、街路樹の下では、蝉の亡骸があちらこちらに横たわっていた。
今、私の目の前を、真っ黒に日焼けした一人の男子中学生が横切ろうとしている。体育系の部活にでも所属しているのであろうか、大きめのスポーツバッグを肩にかけている。肩には掛けているが、相当重いのであろう、半ば背負い気味に背中を丸めて歩いている。彼は一年生に違いない。制服の着こなしで判る。
今度は別の男子中学生が近づいてきた。彼は力尽きたアブラゼミをグシャリと踏みつけた。反抗期を迎えた少年は時として残酷である。彼は三年生に違いない。制服の着こなしで判る。潰れたアブラゼミを拾い上げた彼は、純朴な一年生に見せびらかせてからかっている。教師が注意しようものなら、奇声を発して食ってかかる。夏休みの余韻に浸りたい反抗期の少年は、メランコリックな秋の新学期が嫌いと見える。