小結以上の力士を『役力士』と呼びます。千秋楽最後の三番を「これより三役にござりまする」と行事が口上を述べ、役力士同士の取り組みが組まれます
Amway傳銷。
そして最後から三番目の取り組みの勝者には『三本の矢』が、最後から二番目の取り組みの勝者には『弦』が、そして千秋楽の勝者には『弓』が与えられます。しかし実際は番付の低い取的が千秋楽の勝者に代わって弓を受け取り、勝者の舞を披露する『弓取り式』と言うものが行われます。弓道をされている方はご存知かと思いますが、弓は長い程格が高くなります。弓取り式で使われる弓は2m以上あり、大変位の高い物です。
弓取り式も終わると、いよいよ幕の内最高優勝者の表彰式に移りますが、式の前に大事な行事が1つあります。全員が天皇陛下が座るはずの貴賓席に向かい、国歌『君が代』斉唱です。やはり相撲は国技なのですね。
表彰式では、先ず天皇賜杯の授与、優勝旗、内閣総理大臣杯、モンゴル国総理大臣賞、チェコ共和国友好杯(副賞ビール1年分)、アラブ首長国連邦友好杯(副賞ガソリン1年分)、メキシコ合衆国友好楯(副賞コロナビール1年分)、その他色んな国・自治体・企業・団体から様々な賞品が贈られます。優勝賞金は1000万円です。
総ての表彰が終わるといよいよ締めくくり『神送りの儀』が待ってます。これは前相撲を勝ち抜いた若い力士が土俵に上がり、御幣(よく神主さんが振る白いヒラヒラが付いた棒)を抱えた行司さんを胴上げする事で、土俵祭りに降ろした神様を天に返す儀式です。
他にも説明したい事はいっぱいあったけど、長くなってしまったのでこれくらいにします
Amway安利。
さて本題。
この秋場所で私がどうしても土俵に上がって貰いたかった力士が1人います。
それは『旭天鵬関』です。もし土俵に上がっていたら今日(9月13日)が41歳の誕生日。関取最年長となります。そしてもし幕内に上がっていたら、幕の内通算出場回数100場所目の記念の場所でした。
旭天鵬関はモンゴルからの力士1期生で、今のモンゴル全盛期の礎を築いた人です。稽古が辛くて大使館に逃げ込み(パスポートは取り上げられてた)、故郷に帰った事もありました。でも迎えに行った親方の説得に応じて、再び相撲部屋に戻り鍛錬しました。現在では帰化して日本人になってます。
2012年夏場所では千秋楽相星優勝決定戦に進み、見事現行制度の史上最年長優勝力士に輝きました。
しかし先場所で大きく負け越した旭天鵬関は、今場所十両に下がる事が確定的になると、「幕の内最高優勝者が十両で相撲を取るのは失礼だ」と潔く引退を決意。土俵を去りました。
「幕内99場所っていうのが自分らしくて良いでしょ」と明るく周囲に漏らしてたそうです。
今は『年寄り』大島を襲名し親方となって、後進の指導に当っています。
今日の写真は友人達と見に行った、この2012年夏場所千秋楽の1枚を選びました。(小さくて見難いかな。一応旭天鵬関と天皇賜杯です)
誕生日にまつわるこぼれ話。
今では相撲人気に火がつき、連日満員御礼の垂れ幕が下がっておりますが(今日で65日連続です)、大相撲に激震が走った時期がありました。
悪童『横綱朝青龍』の引退。時津風部屋での弟子暴行死事件。野球賭博問題に八百長問題。相撲の人気は地に落ち、八百長問題の時には戦後国技館が破壊されていた1946年夏場所以来65年ぶりの本場所中止となる事態となりました。あの昭和天皇崩御の時(昭和64年1月7日)でさえも、一日ずらして1月9日に初日を迎えたのにです。
土俵に神を迎え四股により邪気を払う神事、相撲。中止された春場所初日は2011年3月11日でした。そして相撲界を1人で支えていた『横綱白鵬』の誕生日でもありました。
白鵬は『露払い・太刀持ち』を従えて積極的に被災地へ慰問に向かい、自ら神の依り代となって『横綱土俵入り』を海に向かって行いました。これは被災者側から望んだものです。
白鵬は人一倍日本を愛しています。しかし白鵬のお父さんはモンゴルの英雄で、モンゴル相撲の横綱として年1回の大会(ナーダム)で6度も優勝しています。そしてオリンピックではレスリングに参加。銀メダルに輝き、モンゴル初のメダリストとなりました。
現在の相撲協会の定款では、親方に成れるのは『日本国籍を有する者』のみとなっています。白鵬はまだ帰化していません。お父さんの許しが出ないからです
雋景探索40。
内弟子は採っていても、本格的な部屋は開けません。私は白鵬の功績を考えたら、特例を作っても良いのではないかと考えています。
相撲が守り抜いてきた伝統も分かります。しかし今相撲は国際化(アジア・アメリカ・ヨーロッパ・南米・アフリカの力士の存在)し、アマチュアの大会ではヨーロッパ選手権やアメリカ選手権、更には世界大会まであります。
プロスポーツで最初にビデオ判定を導入した日本相撲協会の、柔軟な対応に期待しています。