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首を振った

おしゃれになったね

去年の夏に福島に帰郷した時、仙台の友人に会いに行った。友人の旦那さんは、3月の大地震直後の津波で、亘理に住んでいた叔父と従兄を亡くした。自宅にいた父を助けようと職場から自宅に駆け付けた息子だったが、二人とも消息を絶ってしまった。また、友人の仲人をしてくれた方も、若林区に住んでいたが、大津波の後は消息が知れなくなった。

私はその頃ウィスコンシン州にいて、徹夜でニュースを見ていた。Googleの人探しサイトのことを知り、友人にメールを送った。仙台の友人は実家が泉区の方で無事だったので、実家の両親と助け合いながら水を汲みに行ったり、配給の食糧を受け取ったりしていた。電話がつながりにくい状態なので、やりとりはメールだけだった。次の日、Googleの方に掲載をしたいという返事が来た。従兄さんの方は、すでに友人や職場の人たちが情報を掲載していたので、叔父さんの方を追加することになった。連絡先は私のアドレスを掲載することにした。
数週間後、叔父さんの御遺体が海岸で発見された。その約2週間後、従兄さんの御遺体が近くの体育館に安置されていることが分かった。身元確認ができない状態のまま安置されていたところ、Googleサイトの方に従兄さんと似た背丈と服装の方がいるという情報を寄せてくれた人がいて、御家族が直接身元を確認できた。Googleの方に無事でいるという情報を載せたいと祈る気持ちだったが、それが叶わないということが分かり、本当に残念でならなかった。御遺体が御家族のもとに還ったことがせめてもの救いだった。

友人は、しゃっきりした顔つきで以前とは別人のようだった。地震が起こった時の話はあまりしなかった。うちの息子に初めて会うことができて、終始良いおばちゃんをしてくれた。ランチを食べようとレストランに入った。料理が来るまでの待ち時間、亘理の親族のことは本当に残念だったと伝えた。友人は、手元の水が入ったグラスを見つめながら、お葬式があったので亘理に行った時のことを話してくれた。友人が旦那さんと初めてデートで訪れたレストランがあった場所に行ってみたそうである。そこには更地しかなく、何も残っていなかった。

地震の前は、働くことに意欲が感じられなかった彼女。今は再就職を果たして家計を助け、月に1000円の募金をしているという。自分の街の復興を助けたい。まだ建物のあちこちにひび割れや剥落の後が生々しい駅前を一緒に歩きながら、地震は彼女の前向きに生きる気持ちを後押ししたのだと思った。前よりおしゃれになって、元気になったね。また会いに行くよ。
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