開京は もともと松都とよばれていた 後高句麗の主要都市の一つだったのです。
王建が 城主として治めていました。
三韓統一を果たした 王建は開京を都としたわけですが 当初は 羅城ではなかったのです。
度重なる他国による侵略の驚異から 逃れるために 城外に城郭を築いてゆきます。
都は まわりを山に囲まれた地形 すなわち盆地に都を 築くのが定石でした。
開京は 皇城の北に松岳山 東に龍岫山 南西に進鳳山を望み 城内の東に白川 西に鳥川の
二本の川が流れていました。
松岳山の南西の麓に 皇城を配し その形状は 地形を利用して 階段式に 会慶殿 長花殿
元徳殿 乾徳殿 万令殿 と順番に配され 下から見上げると 一望できたといいます。
現在は、皇城跡とされる満月台と 会慶殿の石段が残されています。
「シンイ」の二次小説を書くにあたって 開城の実態を把握すべく調べました。
皇城 内城 そして外城と それぞれ城門で 区切られていること 皇城は15の宮門と
13の城門があったこと 内城の四大門の名称等が わかりました。
そして 「懐裡32」で 名前がでてきた キムヨン氏は実在の人物で チョイルシンの乱の
時に怖くて隠れていたのも事実らしく 流罪の件もそうです。
この人物 恭愍王の暗殺を企てますが 恭愍王はこの人に厳罰を与えません。
このあたりの恭愍王の思考には 疑問ばかりです。
この事件で アンドチは恭愍王の身代わりになり 命をおとします。
アンジェらしき人物も キムヨンの策謀により 殺されています。
そして まだ疑惑のままですが チェヨンの第二夫人 文化柳氏は 開国功臣の家柄??
思いもよらないことを初めて いろんなことを知りました。
そして 高麗末期には たくさんの忠臣(武官、文官含めて)がいたことを 知りました。
返す返すも なぜ・・・ これが朝鮮に 受け継がれなかったのか・・・